29年間「きたかみ」をご愛顧いただいてきた皆様に感謝の気持ちを込めて、
ラストイヤー記念キャンペーンを実施いたします。
これまで「きたかみ」に乗って旅をした思い出を、
写真やエピソードでお気軽にお寄せください。
懐かしい思い出はもちろん、「今乗ってるよ!」という声も大募集!
応募いただいた方の中から抽選で素敵な賞品をプレゼントいたします。
29年間「きたかみ」をご愛顧いただいてきた皆様に感謝の気持ちを込めて、
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写真やエピソードでお気軽にお寄せください。
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和室・洋室タイプがございます。
全個室、海を眺めながら贅沢なひとときがお過ごしいただけます。
バスタブ・シャワートイレ付。
※いしかり
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洋室(「きたかみ」以外はインサイド)・和洋室・和室タイプがございます。個室ならプライベートもしっかり保ちながら船旅を存分にお楽しみいただけます。トイレ・シャワー付。
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太平洋フェリーオリジナルワインやクッキー、船内売店で人気商品のオリジナルジグソーパズルを差し上げます!!
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船内でしかなかなか手に入らない太平洋フェリーのオリジナルカレンダーを10名様にプレゼント!
2019年を、太平洋フェリーのカレンダーとともにお迎えください♪
キャンペーンは終了致しました。
「投稿フォームで応募する」をクリックし、写真アップロード、もしくはエピソードを入力(400文字以内)し、必要事項を入力の上、ご応募ください。
※エピソードのみでも応募可。
「手書き用フォームを印刷する」をクリックし、手書き用の応募フォームをダウロードし、印刷してご利用ください。必要事項をご記入の上、みんなの思い出投稿キャンペーン事務局宛に、郵送にてご応募ください。
エピソードは400文字以内の文章で、写真は現物もしくはデータを入れたディスクを郵送ください。(ご返却は出来ませんので予めご了承ください。)
※エピソードのみでも応募可。
「フェリーに乗ってみよう」と思ったのは2015年。
苫小牧行きの「きそ」に乗り、北海道を自分の車でドライブしたあと、帰りに乗船した船が「きたかみ」でした。
次に乗船したのが2017年。この時も北海道からの帰り。
そろそろ引退も近いのかなと思い、下船時に案内してくれた船員さんに聞いてみたところ、「もう30年経ちますからね。頑張りすぎましたよ。」と苦笑交じりに答えてくれました。
もう乗る機会は無いと思っていましたが、急に旅に出たくなり北海道へ。
2018年11月1日の帰り便を予約したところ、これがまた「きたかみ」でした。
これで本当に最後の機会かな…。しっかりと記憶しておきたいと思います。
趣味の一人船旅。
念願の太平洋フェリーに乗って北海道へ!
女性の一人客は比較的少ないので、実は客室を広く使えるのがお気に入りです(笑)
私はデッキが広い船が特に好きなのですが、きたかみはとにかく広い!
思わず歩き回ってしまいました。
そして広いデッキから見る海と空…。
極めつけは、夜。
海の上で満点の星空を眺めること。
これが独り占めできる船旅って最高にエモいんです…。
運が良ければ流星も見れるんですよ。
私が乗った日は運良く快晴!
この写真はオリオン座ときたかみです。
3つ星の下には、ピンク色に輝くオリオン大星雲もはっきりと見えました!
めちゃくちゃエモくないですか?
大好きです!
勤続25年の記念です。
29年ですか、凄いですね。お祝い申し上げます。
「きたかみ」さん・スタッフの皆様、お疲れ様でした。
最後まで航海のご無事をお祈りします。
極寒の中、生きている人々の強さ・やさしさ、
空よりも大きく感じた海の深さの不思議。
きっと忘れないと思います。
ありがとう、そして、さようなら。
いつかまた船旅がしたいです。
もう何度きたかみにバイクを載せて北海道ツーリングに出かけたことだろう?
時には雨にずぶ濡れになりながら、ある時は暑さでフラフラしながら仙台港に向かいました。
でも、乗船時にはワクワクドキドキ。
大浴場でさっぱりして、冷えたビールを飲みながらこれから始まる北海道ツーリングに思いを馳せるのが毎年の楽しみです。
でも、最近はきたかみよりも新しくて豪華ないしかりのスケジュールに合わせて利用していました。
しかし、今年で最後と聞いて久しぶりにきたかみを選んで乗船しました。
久しぶりのきたかみは懐かしい昭和レトロ感のある内装で、何度も乗船しているのですぐに思い出して配置図を見なくても迷わずに利用できました。
最後に乗船できて本当によかった!
きたかみありがとう!
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「北海道に車で行こう!」きっかけは友人の一言だった。
船に詳しくない私は、青函連絡船ってまだあったっけ?ぐらいの認識だった。
そんな私の前に初めて現れた「きたかみ」は美しかった。
白く大きく、そして船体に引かれた青いライン。これが青い海に浮かぶ姿を想像するとなおさらだ。
乗船前から私は魅了された。
船内設備も予想を超え、興奮した私たちはまるで子どものように船内のいたるところを散策しては、何時からショーが始まるらしい、映画館があるぞ、などなど・・・夜遅くまでその驚きと感動を共有し合ったのはよい思い出だ。
私にとって「きたかみ」は、移動手段自体が旅の目的になることを教えてくれた船なのである。
「船の中で誕生日を迎えたい」「引退前に『きたかみ』に乗りたい」という思いが一致し、「きたかみ」に乗ることを決めた。
船旅に魅了されて「いしかり」と「きそ」には何度か乗っているものの、「きたかみ」に乗ったのは今回が初めて。ブラウン管のテレビをはじめ船内の設備に懐かしさを感じた。また、下船前に案内所に部屋の鍵を返しに行くことや階段での荷物のリレーなど、他の船にはないこの船独特とも言えることが逆に乗客とスタッフの距離を縮めてくれているのではないかと思った。
偶然にも私の誕生日と「きたかみ」がデビューした日は同じ。年齢に少しの違いはあるけれども、私と同じタイミングで年齢を重ねてきた「きたかみ」とともに迎えた平成最後の誕生日の朝、デッキから見た日の出は忘れることができないものになることだろう。
平成を駆け抜けた「きたかみ」お疲れさま。新しい「きたかみ」での船旅も楽しみにしています。
北の大地に魅せられ、夏休みは北海道!が定番の我が家。これまで15回ほどの往復はもちろんフェリー。新旧きそ・いしかりそしてきたかみと三船に乗船し、船旅は知りつくしたつもりですが、唯一の心残りが船上での日の出。いつも疲れや快適さでぐっすり眠っていたり、天候がすぐれなかったりで残念な思いをしていました。ところが平成最後、そしてきたかみのラストイヤーという記念すべき今年その念願が叶いました。薄暗闇からオレンジ色の太陽が現れ、真っ青な大空が広がっていく過程を時間を忘れて息子と見入っていました。思えば息子のフェリーデビューもこのきたかみ。レトロで落ち着いた雰囲気が家族皆お気に入りでした。最後となるのは寂しいですが、我が家に沢山の思い出をありがとうございました。
平成30年8月、北海道の友人に会うためカーフェリーに乗船した。たまたま乗ったきたかみ…この船に乗船したのは実に24年ぶりだろうか。とても懐かしい感じがする。学生時代、岐阜県から仙台の学校に進学し、帰省するときに度々きたかみにはお世話になった。海無し県出身の私にとって、この大きなカーフェリーはとてもワクワクする乗り物である。特に夜のデッキからみる煙突や仙台の夜景は格別である。次回は新しくなったきたかみからの景色も見たいですね。おっ!今の仙台は大雨かなぁ〜。今までありがとう!
帰省のため、1歳半の息子と乗船しました。
息子は船内を走り周ったり、階段を上り下りして遊んだり、自動販売機で遊んだりしてました。そんな息子にたくさんの方が声をかけてくださり、中には、自分の孫と年齢が同じくらいだから、と言ってお菓子をくださる方もいました。私はその時がはじめての船旅だったのですが、こんな出会いもあるんだなぁと、ほっこりした気分になりました。
3年ほど前の話になります。職場のみんなで北海道へ行きました。その時に乗ったのがきたかみ号です。僕の仕事は鉄道で駅の仕事です。
4月入社の新人が鉄道を辞めて外国で義足を作る仕事をしたいとのことでわずか数ヶ月の付き合いでしたが、送別会をすることにしました。
僕も好きで鉄道に入りました。若い彼の夢を応援したいと思い、送別会をかねて北海道に誘いました。
その前にも太平洋フェリーに乗り、船旅の楽しさを知っていましたのでみんなで行きたいと思っていました。
今は横になって移動できる交通手段が少なくなりました。酒を飲み語り、移動できる太平洋フェリーの旅は最高でした。
一生忘れない旅となりました。
ありがとうございました。
私が音楽の仕事をはじめるきっかけとなったのが、毎夜ラウンジで繰り広げられる船内ステージでのエレクトーン演奏でした。1999年、就航していた三隻の船には当時最新鋭のエレクトーンが搭載されていまた。すべての船に乗務の機会がありましたが、きたかみは、初めての仕事で名古屋港から乗った思い出の船です。お客様が船旅を楽しんでいらっしゃる裏で、どういうステージをお送りするか、日々考えておりました。失敗したこともありますが、仕事とは何かを、きたかみは私に叩き込んでくれたと思います。現在は陸上で音楽制作の仕事を十数年続けておりますが、先日、最後の乗船から15年ぶりに、きたかみのラウンジショーのステージに立ちました。スポットライトを浴びると、これまでの空白の日々が、大波のごとく一気に胸に押し寄せてきます。それは、ものいわぬきたかみが、ただひたすらに航跡を刻んできた日々に等しいのです。最後の日までご安航を!
とある冬の日、北を目指す旅。
夕暮時の港に接岸された白い船体にブルーラインの見慣れた姿。乗船するとエントランスでは素敵なクルーたちのグリーティング。銅鑼、船長の挨拶、「波頭を越えて」で離岸、出航。特別な時間の始まりでした。
ゆったり流れる心地よい時間。好きなときに、好きなことをして過ごします。海上、船、という制約の中、「きたかみ」という舞台で、そこに働く人々が精いっぱいもてなし、尽くしてくれようとする時間がとても好きでした。サウナで汗をかき、大きな風呂に浸かり、船室でまどろんで……。心からリラックスしてるのに、身は目的地に向かっている。ちゃんと仕事になっている。
北の港に入港、着岸して、正装のクルーに送り出されます。
「さあ、やろう!」という思いに満たされたものでした。
きたかみがリプレイスされ舞台装置が変わっても、そこにあるスピリットは変わらないことを期待してます。
私にとってきたかみの乗船で一番の想い出は妻との新婚旅行記念として平成21年9月2日-3日に運航された仙台発名古屋行の便への乗船です。この時は本来、新婚旅行クルーズとして苫小牧から名古屋までのフル乗船を計画していたのですが、休暇を長く取得出来なかったため、短縮版となってしまいました。当日は新婚旅行ということもあり、スイートルームに宿泊できたことも大きな想い出ですが、当日は台風に伴う変則運航だったこともあり、本来は日中に眺めることが難しい大島などの伊豆諸島を船から眺めることが出来たり、入港前に通過する名港トリトンを夕方頃に眺めることが出来たことなど、短縮版でもすごく濃厚なクルーズとなりました。平成を航行したきたかみに新婚旅行クルーズとして乗船できたことは一生の誇りになりました。きたかみさん、本当に有難うございました。そして、跡を継ぐ新造船にも期待しています。
高校生時代に修学旅行で名古屋から苫小牧へ行きました。
今から13年も前の思い出です。
船内では初めてのフェリーという事もあり
食事に大浴場、特にきたかみ唯一の展望室では長い事目の前に広がる景色を
楽しんでいました。
私の初フェリーは大学2年生のときに乗船した太平洋フェリーの「きたかみ」でした。それまでは、遠出する時は飛行機や高速バスなどでした。ある時、「船旅ってどんな感じなのだろう…」そんなきっかけで、仙台から苫小牧まで乗船することにしました。初フェリーの日は、波がうねり模様…船酔いなど不安でした。もちろんその日は揺れ、朝も揺れ続けていました。しかし、到着する2時間前になると揺れもおさまり、デッキに出ることにしました。そこには美しい青空と大海原が広がり、船旅にはこんな素敵な景色に出会えるのだと感動しました。その頃には不安もなくなり、名残惜しい気持ちのまま下船しました。一生忘れられない旅になりました。
この旅をきっかけに船旅が好きになり、今では船旅が中心になりました。このような素敵な旅を見つけ、自分の旅を変えてくれた「きたかみ」本当にありがとうございました。あなたに出会えてよかったです。
40歳代の男です。
2011年の9月に新婚旅行で仙台-苫小牧を往復で利用しました。行き・帰りともに「きたかみ」で、快適な時間を過ごすことができました。
フェリーで過ごす一番好きな時間は、出航前にレストラン横の展望通路で食べる夕食の時間帯でした。船内が慌ただしい中、小さなテーブルで食べる夕食と晩酌が最高でした。
この「きたかみ」に乗って初めて知ったのがラウンジショーがあること。青函連絡船のような雑魚寝のイメージしか無かった自分には、船旅のイメージが一変し、長い乗船時間でも苦になることは無くなりました。
おかげで妻も「北海道旅行はフェリーで行きたい」と話すので、日程調整は大変ですがもう一度旅の計画を立ててみようと思います。
一番最初に乗ったのが「きたかみ」で次に「いしかり」だったので設備の違いにびっくり!
喫煙所も取って付けた感もあったし、B寝台のライトも同じく感じたけど、レトロで昭和の匂いみたいなものがあって落ち着いた雰囲気だった。
新きたかみがどんな雰囲気になっているのか興味がある。
最近は「きたかみ」ばかりに乗っていて「きそ」「いしかり」に載っていない
孫と一緒に、仙台まで船の旅をしました。
孫は海が大好きで、「海!海!」と大興奮していました。
早朝、きたかみのデッキで孫と一緒に見た朝日はとてもきれいで、忘れられない思い出になりました。
娘の2歳の誕生日に、記念に旅行に行きました。その時乗ったのが、きたかみでした。飛行機だと、子供が泣いても座席に座っていないといけないのが窮屈だし周りに申し訳なく、3ヶ月の赤ちゃんも居たので、船を選んでみましたが…
もう、最高でした!
とてもゆったりと過ごせました。
もうすぐ4歳になる娘。次は宇宙船のようなニューきたかみでお祝いします!
苫小牧で生まれ育った私が、主人の転勤で仙台に来て5年が経ちました。
苫小牧に帰省する時に、何度もフェリーに乗船させて頂きました。
5歳と3歳になる娘たちは、飛行機も大好きですが、
フェリーも大好きで、窓から見える景色、外のデッキで感じられる風に毎回大興奮し、
夜と朝に入る大浴場もお気に入りです。
私はフェリーならではの、ゆったりと流れる時間が大好きです。
毎日お仕事で忙しい主人は、帰省の時はいつも仙台でお留守番なので、
ニューきたかみには家族みんなで乗船してみたいです。
29年間、お疲れ様でした。
私は、きたかみが大好きでした。最初は、ドキドキしてたけど、何も大丈夫でした!でも、このきたかみが来年で無いなんて寂しいです。どんなに古い物でも私の宝物みたいな感じです。1989年の船でも、古いとは思いません。二段ベッド、自動販売機の焼きおにぎり、好きだったのに、残念です。でも、私は平気です。古い物が新しくなったり、新しい物が古くなったりしても好きです。ありがとう、フェリー‼︎
石巻市へ転勤して9年目に突入しました。
子供が大きくなり、3歳頃に、フェリーで帰省する事も考え、女性専用客室があり、大変助かりました。興味津々、好奇心旺盛な娘は、フェリーの雄大な広さ、お風呂に感激し、大喜びでした。
それから盆、正月、GWは、『フェリーが良い‼︎』との事、ネットで申し込みが出来る、運賃が安い。のんびり、ゆったり過ごす事が出来、満足しています。
造船業を営んでいた父親、
出身地である今は住むことが出来ない福島県双葉町に向かう思い
人生航路の「きたかみ君」よ、君はわたしの人生・仕事とともに歩んだ相棒だね。札幌に転勤して生まれ故郷の仙台にはいつも一緒だったからね。父が亡くなり、翌年亡くなった母の時も私たちを連れて行ってくれました。ありがとうね。もちろん列車も飛行機も眼中にはありません。時間がかかってもフェリーです。なぜか、エンジン音と波の音とアナウンス音とともに感謝・反省する(人生を振り返る)時間をくれたからです。「きたかみ君」ありがとうね。また、38年来の友との新年会時そしてたくさんの旅に連れて行ってくれました。そうそう、3~4年前の新年会帰りの仙台出航時、近くのデッキでお孫さんたちが、お見送りのおじいさんおばあさんに「また来年ね」と何度も何度も叫び、離れて行くたびに大きくなる声、かすれていく声に、ジーンとしてきて涙が出ました。笑いと勇気と涙を与えてくれた「きたかみ君」ありがとう。永住の札幌より永遠に感謝。
きたかみに初めて乗船した2011年3月10日。初めて一人で海を渡る緊張感や高揚感は忘れられません。大学受験のために苫小牧から仙台へ向かった18歳の時です。船内は想像以上に煌びやかで、夜も中々眠れず甲板から空を眺めると、初めて見る星の数に感動をしました。迎えた3月11日の朝7時、宮城県沖。展望通路で海を見ていると「こんな穏やかな海は珍しいんですよ」と、乗務員さんがお話ししてくださり、それが嬉しくてその景色を写真に残しました。まさかその日、あの穏やかな海が荒れ狂い町を襲ったなど想像もできずに…。あれから7年、現在は縁あって宮城県に嫁いで参りまして、今年は義両親、夫にもきたかみに乗って頂くことが叶いました。大袈裟な様ですが、今の生活はきたかみが繋いでくれたものに思えます。この冬運行を終了するきたかみにはたくさんの方の想いが乗っているのでしょう。お疲れ様でした。そして本当に、有難うございました。
平成元年から、平成31年まで。ひとつの時代を航海してきたのだな、と。
昭和時代の長距離フェリーといえば、大部屋中心で、公室はレストランと浴室、よくて小さなラウンジくらい。そのころ登場した初代「きそ」「きたかみ」「いしかり」の三姉妹は本当に輝いていました。時代の勢いもあったのでしょうか、志の高さが感じられました。
災害の多かった平成の時代、あの日、仙台港に接岸されていたこと、その後かの地の復興のために少なからず活躍したことを後に知りました。
先日久しぶりに乗船しました。あの時の輝きが失せないまま、美しく年輪を重ねていることを知り、うれしくなりました。
数年前に、旧「きそ」とエーゲ海で再会しました。平成の終わりと共に通いなれた航路を去る「きたかみ」に、またどこかの海で再会できるのを楽しみにしています。
きたかみが引退してしまう前に家族みんなで「きたかみ」に会いに。
仙台港を出港する時は残念ながらあいにくの雨模様。。。
家族みんなで「きたかみ」の船内を満喫することができました。
そしてさらに船内大浴場ではおばあちゃんと二人で船旅をしている小学生や、デッキで記念撮影をしている親子とお友達になることができました。
苫小牧に着く頃には太陽が顔を見せてくれ、下船の際にはお互いに記念撮影。
見知らぬ人とも声をかけあってすぐにお友達になれる、
そんなことも船旅ならではの魅力だと思います。
楽しい想い出をありがとう「きたかみ」
2007年11月、フェリーでの関西旅行を計画していて思いついたこと。
カノープスは冬の1等星。でも日本からは緯度が低く、地元東北ではほぼ見られない赤い星で、滅多に見えないことから中国では、見ると寿命がのびるとの言い伝えも。
天体観測が趣味の夫と私。海上を夜に進むフェリーは星見にもってこい!?ということで、初カノープスに挑むことにしました。カノープスの南中する時刻を下調べし、望遠鏡を持って、いざ乗船!
…ですが、行きの「きそ」では海上が荒れ、月は見えるものの小さな赤い星は見つけることができず、月の写真だけ撮ってその夜は断念。
そして帰りの「きたかみ」で再挑戦し、ついに、初カノープスをGET!深夜の甲板で、夫婦でハイタッチしたのがいい思い出です。
次は、宇宙船がコンセプトの「新きたかみ」で、カノープスと再会したいです。
夢と希望を乗せ、利用者の心に焼き付いた「きたかみ」…29年間、安全にありがとう。2011年3月には辛いことも色々見たことでしょう。本当にお疲れ様でした。古い船体を感じると同時に「いしかり」では感じることができなかった気品と風格を感じました。船旅という時間に縛られない非日常を経験することで、今後の人生において良い機会となりました。残り数ヶ月、最後まで安全に航行、走り続けて下さい。
2009年夏、大型バイクの免許を取って始めえての北海道へのツーリング。大阪から土砂降りの雨の中名古屋港へと慣れないバイクを走らせ、港に着くと大きな白地に青いラインの入ったきたかみが目に入ってきたのを今でもはっきり覚えてる。部屋は1等洋室の角部屋、今まで船の個室なんて使ったことがなかったのでベッド、トイレ、シャワー、テレビとホテルの部屋みたいでびっくり。ゆっくり休む事が出来、北海道を思う存分楽しむ事が出来た。レストランでの食事もお腹いっぱい食べ、海を見ながら大浴場に浸かり、映画やショーを見る。その後毎年北海道へ行くようになったきっかけの一つになりました。
船は変わっても毎年一度は必ず太平洋フェリーに乗って北海道へ。今の私の一つの楽しみ。
そんなきっかけを作ってくれた きたかみ に感謝。29年間お疲れさまでした。
最後に一度全区間乗ってみたい。
就航した年を基準にすると、きたかみと私は同い年。
宮城に住んでいることもあって、きたかみに乗船することが多く、勝手に親近感を抱いていました。
そのきたかみが平成の終わりと同時に引退すると聞いて、酷く寂しく感じました。
引退するまでの間に、もう一度乗りたいと思います。
わたしは、飲食店を一人で経営してますので、休みは年に一回、4日です。きたかみが名古屋に来る日程で
毎年、ただ船にのるだけの旅を10年連続でしてます。他の船より小さめですが落ち着けます。
念願のスイートも乗船出来ました、最後の航海もきっぷが取れれば乗船したいと思います。
乗船のたびに設備が縮小していくのは残念ですが、最後は盛大に見送りしたいです。
三年ほど前の話ですが、妻と高齢の義母と3人で、北海道から東北、北関東を巡る
一週間のロングドライブ旅行をしました。旅の最終日に仙台港から苫小牧へ向かう時に
乗船したのが、「きたかみ」でした。
コンパクトカーに3人で、行く先々のいろんな美味しい物を食べ、沢山のお土産を買い、沢山の思い出を、
詰め込んだ車と一緒に「きたかみ」に乗船。
3人で泊まった和洋室は、思いのほか広くてとても快適でした。
「このまま寝れば、明日には北海道に帰るんだ。」
「楽しかったなー、また3人でこの船に乗れるのかなー」
なんて思いながら展望室から見える大海原に思いを寄せていたことを思い出しました。
1年目の昨年は仙台のアンパンミュージアムへ行きたいと言う4歳の娘の願いを叶えるために思い切ってマイカーとともに苫小牧から「きたかみ」で仙台へ。
今年に入り娘に今年で「きたかみ」が最後だよ、言うとフェリーでの旅行が楽しかったと言うので今年も
行きたい、となり2年連続で「きたかみ」で仙台へ。
早割の予約が取れたのもあって昨年は出来なかった夕食のバイキングなどラストイヤーを親子揃って堪能させてもらいました。
毎年、家族で写真を見て「きたかみ」での旅行を思い出せたらいいなと思います。
1992年春、高校を卒業し就職。2ヶ月後に新入社員研修が仙台で行われることになりました。小さい頃からフェリー好きだった私は、迷わず苫小牧から仙台までフェリーで往復することにしました。それを知った職場の上司が気を利かせて、パンフレットを手渡してくれました。就航船は「いしかり」(2代目)、「きたかみ」、「きそ」(初代)の3船、私の一番のお気に入りは「きたかみ」。当時はインターネットなどは普及しておらず、乗船日の配船は不明。乗船日当日、バスからファンネル見えた瞬間「きたかみ」だ!と分かった時の嬉しかった思い出は忘れられません。乗船後、船内の写真をたくさんとりました。その写真を改めて見て発見したことがあります。それは、船首の展望室のインテリアが、今と「ほとんど変化していない」ということです(写真は当時のものです)。私の心の中で、これからも「きたかみ」は、変わることなく大海原の旅を続けます。
今年の2月に仕事で仙台に行ったとき、職場に内緒でこっそり船旅に変更しました。その時に乗船したのがきたかみでした。最初は、せっかく乗るなら新しい船、と思っていたのですが、巡りあわせはきたかみで残念と思ってました。
しかし、いざ乗船してみると、大きさ、豪華さ、そして古ささえ威厳のように感じさせられました。名古屋までの船旅はあっと言う間でした。このときは知らなかったのですが、今年がラストイヤーなのが残念です。もっとじっくり堪能しておけばよかったと後悔しており、なんとかもう一度乗れるよう画策中です。
写真は、下船後に名残惜しくバスには乗らず、きたかみを見ながら歩いて駅に向かった時のものです。前日までどんよりした天気でしたが、この日は青空が広がり、きたかみの白い船体が眩しかったです。
40年程前に、初めてフェリーに乗船したのは、確か「だいせつ」だったと思う。友人と北海道20日間の旅に出かけた時だ。その朝は、早く起床しデッキに出て北海道を眺めたのを、今でも鮮明に思い出す。
今回「きたかみ」の退役を知り、急遽、夏休み家族旅行を計画し、この子達の思い出づくりをした。
その計画中、多くの人たちがフェリーの運航に携わっていて(これは当たり前の事なのだが)その具体的な仕事を知る事となった。安全確保の為の日々の努力、台風、9月6日の地震、等々突発的な事象への対応。
当たり前のようであるが、素晴らしいなと思う。
この子達が大人になって今回の事を思い出す。その時も、それ後もずっと太平洋フェリーが運航していて欲しいと、願っている。
歳の離れた親子。最新のゲームでは息子に勝てないお父さん。
でも「きたかみ」のゲームセンターなら、息子に「お父さんって、すごい!」って言ってもらえるよ。
若い頃には、お金がなくて、フェリーで旅をしていました。子どもも生まれ、どうしても、家族で、フェリーの旅がしたかった。「家族でフェリーの旅をする」だけが目的の旅。名古屋を出て、仙台には夕方到着。陸には1泊しただけで、翌日の昼には仙台を出発。ただただ、フェリーを満喫しました。いやでも思い出の味になってしまう、マンネリの食事。360℃見渡す限りの海。たいくつ。これがたまらないフェリーの魅力です。息子も気に入って、「またフェリーに乗りたい」とせがみます。いつか、息子にも、自分の家族とフェリー旅行をしてほしいなぁと思います。
乗船してると撮れないので、苫小牧入港を撮影させていただきました。丸みのあるファンネルが好き!
展望室から眺める景色は ブリッジから望む雄大な海 これが見たくてこの きたかみに乗船しました。
年に数回仙台の祖父母を尋ねて母のお腹にいるときからですからもう40年以上になります(笑)
必ず船で行き来する理由は安さと快適さと今は現実逃避?です。何十回も乗っているのにタラップを歩き始めるとワクワクします。ディナーバイキングで満たされ波のあるお風呂にゆっくり入り、久しぶりに時間をもて余す♪日々の現実を忘れさせてくれるのはやはり船だからです。
毎回全部の船に乗って船のことを話するのが我が家の恒例です。きたかみは古くて何かと子供たちには不評でしたが私は古さが逆に懐かしくて♪揺れ方や音も当時独りで船に乗り始めたころのこと(当時は新しかった!)を思い出します。
新しい船も楽しみですが、ずっと乗ってきた古いきたかみが無くなるのは淋しいです。
祖父が亡くなり祖母が施設で暮らしています。いつまでもこの船旅が続いてほしいです。
初めての北海道旅行の最終日、北海道胆振東部地震が発生しました。
北海道全域が停電で、高速道路、鉄道、空港は機能しません。航路も駄目かと不安を抱えながら苫小牧港に近づくと、なんと、太平洋フェリーきたかみが待っているではありませんか。
乗船後の船内は満員。朝から食事をしていない方が多く、レストランや売店には長蛇の列ができていました。
あきらめて部屋に戻り、かろうじて手に入れたカップラーメンを子供たちに食べさせていたところ、「本日は、レストランの営業時間を延長します」との館内アナウンスがありました。
きたかみで食べた温かいカレーライスの味は、絶対に忘れることはありません。
乗務員の方々の配慮のおかげで、本当に良い思い出になりました。
1《2泊3日の東北ツアー(1日観光2船舶)》(苫小牧発仙台行きフェリ~なんて歌いながら)
例えば山形=長井線乗車。福島=三春の滝桜・大内宿。宮城=松島・水族館・光のページェント。 岩手=中尊寺・厳美渓のだんごに連れて行ってくれた「きたかみ」ありがとうね!
2《B寝台》
そうだね、貧乏人の私はいつもB寝台利用。上段へのハシゴは登りたくなかったあ。
床で寝てもいいと思いつつも、たくさんの観光地に連れて行ってくれた「きたかみ」、ありがとう!
3《エンジン》
エンジン音は低く振動も少なく快適だったよ。いしかり・きそよりもベッド幅
は広いんじゃないかな。古くなったけど、さすがそしてやっぱり「きたかみ」
ありがとう!
家族4人で札幌の実家へ帰省するため利用しました。4歳の長男と5ヶ月の次男を連れて。普段は飛行機なのですが、長期休暇が取れたのでたまには船旅の経験をさせてあげたいと思いました。
行きはいしかりの和室、帰りはきたかみの和洋室でした。新しい船と比べると、きたかみは乗下船時の階段や部屋の設備等劣る面はありましたが、船員の方が手伝って下さったり案内所で対応してくださったりしました。一番嬉しかったのは、長男が2段ベッドを大変気に入って喜んでいたことです。昔ながらのはしごは子供心をわしづかみ。とても良い思い出になりました。
北海道旅行の帰りに「きたかみ」に初めて乗りました。本当は飛行機で行きたいと思っていたけど、「きたかみ」に乗船してみてフェリーで旅行してよかったと思いました。フェリーの中にお風呂がありおどろきました。お風呂のお湯が波と一緒に揺れていておもしろかったです。次の朝起きてみたら海の上でとても感動しました。部屋からずっと海を見ていました。レストランの朝ごはんもとってもおいしかったです。船内を探検していた時に壁に飾ってあった新聞に東日本大震災の大津波に耐えたと載っていたのでびっくりしました。大津波に耐え復興の手伝いもしたなんてすごいと思いました。わたしのおじいちゃんの家は気仙沼です。家は津波で流されてしまいました。しばらくしてフェリーが気仙沼の近くを通ることに気がつきました。甲板に出て遠くのおじいちゃんに向かって大きく手を振りました。「きたかみ」29年間ありがとう。新しいきたかみにも絶対乗りたいです。
平成30年9月7日、仙台港発→苫小牧港行きのきたかみに乗船し親子二人で北海道函館方面への旅行を計画していましたが、前日の朝方発生した(平成30年北海道胆振東部地震)が起きたため一時は旅行どころではない、大変な事が起きたと中止を考えていました。息子はフェリーでの旅を楽しみにしていたので、太平洋フェリーに電話で確認したところ。仙台⇆苫小牧間は船が出せるとの事‼︎予定を変更して船の旅に切り替えました。
最後に、私も東日本大地震を茨城県内にて被災しました。北海道の皆様も大変でしょうが頑張って下さい。
初めて乗った太平洋フェリーが「きたかみ」でした。
それから大ファンになり何度も乗船しましたが、中でも思い出に残っているのは季節外れの台風に遭遇した時のことでしょうか。
定刻に苫小牧を出港した「きたかみ」は、時化を避けるために通常の航路を外れて陸奥湾へ。
陸奥湾で時化がおさまるのを明け方まで待ってから仙台へ。
仙台への途中、普段は夜中で見えない三陸海岸が綺麗に見えたことをよく覚えています。
2年前ではありますが北海道に行くのに初めて太平洋フェリーに乗ったのがきたかみでした
関東住みの私にとっては仙台へ行かなければならず、なかなか乗る機会がありせんでしたが北海道に午前中に到着出来るのが魅力で利用してみました
いざ乗船してみると広々とした個室、レストランでの美味しい食事に感動しました
特にお肉が美味しかったのが印象深いです
初めて娘を連れてジジとババ、ぴーバーのいる仙台にフェリーで行きました。
静かで居心地の良い船内では娘はグッスリ。
パパ、ママもゆったりとした旅行を楽しむことができました!
いつも主人一人だけで行く北海道。今年は一緒に連れて行ってもらえた北海道。
初めての船旅はお天気が悪く、海は荒れていましたが、船員さんスタッフさんが優しく、船酔いもなく楽しく過ごすことが出来ました。
朝のピアノコンサートは、とても気持ちよく、素敵なひと時を過ごすことが出来ました。
季節を変えて、またフェリーで北海道に行きたいと思ってます。
日本の各フェリー会社に所属するカーフェリーには、一年に一回船体の点検や修繕を行う事を目的として20日前後のドック入りをする年次検査という期間があります。日々航海の連続である商船にとって、纏まった整備の時間が取れるこの年次検査期間は大きな手入れが出来る貴重な機会です。荒波に揉まれ続けて錆が浮いた船体も綺麗に塗装し直され、見違えるようにピカピカになります。この写真はそんな平成25年度年次検査のドック入りを終えた「きたかみ」が、定期航路復帰の為に名古屋港へ入港してきた姿を撮影したものです。…就航から30年に渡って続けられてきたこの光景も、来年からはもう見られないのですね…。「きたかみ」さん、長い間のお役目お疲れ様でした。たくさんの思い出をどうもありがとう!
2016年の6月、太平洋フェリー様の企画ツアーに参加しました。私(48歳)と娘(20歳)と両親(77歳と74歳)、いとこが2人(52歳と51歳)と叔母2人(84歳と78歳)義母(80歳)の9人で参加。お世話になったのが、『きたかみ』でした。仙台港を出航し、苫小牧港に着くまで15時間20分の船旅。船内ではバイキングの食事とビールを堪能。広いお風呂に入ったり、ショーを観たり、部屋でおしゃべりと楽しい時間を過ごしました。日が変わるころ就寝。苫小牧港に到着後、ツアーバスに乗り込み1時間少々高速で走り伊達時代村へ。ジンギスカンの食べ放題や登別温泉。おみやげもいっぱい買って、北海道上陸時間がおよそ8時間!帰りも『きたかみ』で。海上に浮かぶホテルのごとく、ゆったりした贅沢な時間に、同行した親戚一同感動、感動の嵐でした。今度はぜひ、ニューきたかみに乗りたいな~と思いを馳せているところです。
生まれて初めての北海道旅行に愛車で行きました。
稚内、常呂町、網走、富良野、夕張、函館そして苫小牧。仕事も忘れ雄大な土地に引き込まれて名残惜しい北海道…
最終日にきたかみに乗り北海道に別れを告げました…
きたかみから見た北海道苫小牧が綺麗でした。
そしてきたかみ!船内もデッキも広くて大人になった自分でもはしゃぎたい気持ちでした!
雄大な北海道にふさわしい雄大なきたかみありがとう!またいつかきたかみで北の大地に行きたい!!
雪の降る北海道にどうしても行きたくて、仕事の合間に3連休を取って行ってきました。行きは新潟から新日本海フェリー、帰りに乗ったのがこの大平洋フェリーきたかみです。雪の北海道は想像以上に厳しくて、小樽港に着いたときはタクシーを使わないと駅まで行けなくて、親切な人が一緒に乗ってくれたり、貴重な経験が出来ました。そして円山動物園のもふもふのおおかみ!かわいかったです。そして帰路に就き、苫小牧駅から歩いてフェリー乗り場に着いたときは一安心しました。バイキング美味しかったです。そして冬季五輪の中継を同じ船内の人と観戦して、日本人の初メダルを目撃できた時はとても嬉しかったです。新しくなるというきたかみ、その際にはまた北海道に行ってお世話になりたいと思います。今までありがとうございました。
3年前から今年まで、きたかみに6回乗船しました。朝食のバイキングを食べ、エネルギーを充填し北海道上陸。二輪車で広大な北の大地を堪能、途中大自然の厳しさを体験し、疲れた体を癒してくれたきたかみ。
そしてクルーの皆様、ありがとうございます。毎年夏が近づくと北海道に行くぞと心が揺れ、行きの船中では、これからの冒険に心ときめかせ、帰りの船中では、疲れを癒してくれた。今年きたかみ最後に乗船し、なぜかさみしく思っていたところ、グロブナーハウスでいつもの料理長の笑顔を見た時、なぜか安心したことが思い出であります。来年新たなきたかみに乗船し、北海道冒険旅行に行ければいいなと思います。
2014年12月4日(木)、人生で初めて乗船したフェリーが「きたかみ」でした。
この時は新婚旅行1日目ということで、仙台から苫小牧へ。
平日のせいなのか乗船するお客さんはほとんどおらず、貸切に近い状況でした。
あまりにも楽し過ぎて、勝手にはしゃぎ始める私達。
夕食のバイキングはステーキやらお寿司やら豪華な内容で、テンションはMAX。
しかし、夕食後に妻がひどい船酔いで倒れてしまったんです。
「もう2度とフェリーに乗ることはないかな・・・」と思いつつ、翌日は苫小牧から名古屋へ。
心配していた妻の船酔いはなく、ゆったりとした船旅を楽しみました。
ちょっと苦い思い出でしたが以来、私達夫婦はフェリーでの船旅に大ハマリです(笑)
「きたかみ」が引退するということでちょっと寂しいですが、一生心に残るような思い出を作ってくれた事に感謝です!
一年半前に、人生で初めて乗船したフェリー。それが"きたかみ"だった。初の船旅ということで、乗船前には様々な予習をした。その過程で、この船の退役が決定していることや、かの大震災の津波を乗り越えた力強い船であることを知った。しかし当日、いざ乗船してみると、気分が高揚し、恥ずかしながら予習したおおよその事は忘れてしまった。初めて船上から大海原を見た。夜闇に煌々と輝く竜飛崎の灯台を見た。夕食はバイキング故、過食して調子が悪くなったのを覚えている。不調のまま、ラウンジでサックスの演奏を聞いたのもまた一興。そして夜も明け、朝風爽やかな苫小牧の港。「なるほど、かくも優雅な移動手段があったのか。」以来、船旅にお熱である。我が船旅の原点たる"きたかみ"。理解はしていたが、やはり二年でサヨナラは、短すぎる。だからこそ、僕はせめて仙台港に行く度、鷹揚に、そして雄大に停泊していたこの船を心中に描き出すことだろう。
旦那さんの仕事の関係で初めて地元北海道から静岡に行く事になり、家族で地元北海道苫小牧港から初フェリーに乗りました☆その時息子はまだ小さくフェリーでの楽しみがわからぬまま乗っていたのですが、昨年地元に帰省した時には楽しそうにウキウキ、ワクワク、ドキドキしながら乗っていてとても思い出のあるフェリーでした。今年も冬に帰省予定なのですが、これが最後の旧キタカミになるのカナ?と思うと少し寂しさもありますが、新キタカミも楽しみでもあります♡これからは新キタカミと家族とまた新たに楽しい思い出を作っていけたらいいな…♪
ぼくは、はじめてフェリーに乗り北海道へ行きました。車で行けるのもすごいし、大きなフェリーですごく楽しかったです。おじいちゃんのキャンピングカーも一緒で楽しかったです。
また今度は、お母さんとお父さんも連れてたいきたいです。
年末年始や所属船の年次検査期間中等に組まれる臨時ダイヤ。出港時間がずれる関係で、福島沖での僚船対向などのイベントも行われなかったり変更になったりしますが、その代わり普段では見られない風景に出会えたりもします。
この写真はそんな臨時ダイヤで仙台を夕方に発った「いしかり(二代目)」から撮影した、仙台港に入港する「きたかみ」の姿です。
きたかみに最初にお世話になったのは、富士山からの帰りの仙台までの船旅でした。名古屋港の名港トリトンをくぐって夜闇の中を進んで行くきたかみは非常に頼もしく、当時はきそが新造されたばかりでしたが、きそに負けない良い船だと思ったものです。次にきたかみに乗船したのはニセコへスキーに行く為の往復。すでにいしかりも新しい船へと変わっており、バイキングなどの部分では初めて乗った頃よりも劣っていた部分も出てきておりました。それでも昔と変わらない所があるのを見て、「お前も俺も歳をとったな」と感じての往復。まるできたかみに対して幼馴染のような思いを持った船旅でした。また、あのきたかみに乗れれば、と思っていましたが叶いそうになく、幼馴染がどこか遠くへ行ってしまうようで寂しいです。楽しい船旅をいつもありがとうございました!
初めて、太平洋フェリーに乗ったのは 1999年台風が接近する秋、先代のきそ。北海道へ向かう船内、大きな揺れに恐怖すら感じる中、数時間の遅れで苫小牧に到着した。
天候は好天しなかったが、北海道の旅を満喫し、帰りに乗ったのが、きたかみだった。
帰りの船内は、穏やかな波の中、きたかみのレストラン 風呂 そして、遙かに広がる水平線、大いに船の旅を満喫できた。
それから、毎年太平洋フェリーに乗るのが恒例となった。
在る時は、九州旅行の帰り、名古屋から乗船、在る時は、北海道旅行の往復。きたかみには結構お世話になった。
子供も大学生となり、最近は一人旅となったが、今年の北海道旅行は きたかみで往復する予定。
帰路は きたかみ 特等室を奮発! 良き 想い出をありがとう、きたかみを満喫するよ。
洞爺湖で開催の「北海道72ミーティング」に参加するためバイク仲間4人で仙台~苫小牧航路10日帰路(きたかみ)を利用しました。平均年齢66歳の爺たちですが、バイク乗りは若い!バイクの乗船が早いため即行風呂へ、ロビーのテーブルを確保して売店を何回往復したことか!ビール・酎ハイをぐびぐび飲むこと々、ラウンジショウも堪能、寝るのも早いジージ達A寝台にて就寝,起きるのも早い!一人は4時・一人は5時・あれ?あと二人いない?寝台のシヤッターを開けたらまだ寝てた、どうした?回答船酔いグロッキー、あれまー!朝食はバイキングを利用することに、ケロッとしている2人と少し酔ってる一人の3人でレストランへ、料理を皿に取りテーブルへついてお食事開始、少し酔っている人随分料理を盛って着席?ウッ!!駄目だ寝ると一言言って去った。残さず食べるのが大変!良い?思い出でした。「きたかみ」有難う!お疲れ様!!
大学1年の夏。私は神奈川から北海道へ一人旅へと行くことにし、仙台から苫小牧まで「きたかみ」を利用しました。
乗船したときからテンションが上りとても楽しかったのが昨日のことのように思い出されます。
ミニシアターで観た「スパイダーマン」は、船の揺れと相まってまるで本当にニューヨークの街を滑空しているかのようでした。
早起きして8デッキの外に出て、誰もいないなかフェリーでしか見ることのできない水平線からの朝日は感動ものでした。
他にもたくさん思い出はありますが、売店やレストラン、案内所で対応してくれたクルーの皆様の笑顔がとても印象的でした。新しいわけでもなく、すごく豪華なわけでもない「きたかみ」ですが、乗船していてすごく楽しく心地よかったです。
残りわずかですが最後の日までご安全に。
愛車と共に旅ができるフェリーの船旅が好きで、仕事や家族旅行でこれまでたくさんのフェリーを利用してきました。
「きたかみ」は太平洋フェリー3船の中でも特に私のお気に入りで、旅のスケジュールも極力「きたかみ」の運航に合わせて計画するほどです(笑)
長くずっと活躍し続けて欲しいと願っておりましたが、とうとう引退の時期が来てしまったのはとても残念です。
これは長男が小学校に上がる年に動物園にペンギンの行進を見るために「きたかみ」に乗って真冬の北海道へ行った時の想い出の1枚です。
その息子も来年は高校生。「きたかみ」が引退する前にもう一度みんなで乗りたいです。
2013年から毎年、今年で6年目になる北海道ツーリングスケジュールを立てフェリーを予約する、、
別に選んではいないけど、なぜかきたかみにお世話になる事が多い、ほぼ毎年きたかみが私とバイクを運んでくれた。帰り船を新潟着にしたり大洗航路も数回利用したりするが、やはりきたかみの旅が私は好きだ、古臭い船内は、特に豪華と言うわけではないが、なんだか落ち着く、それはなぜか?と考えてみると、クルーの方々の対応、、そう気持ちが他の船と違って素晴らしいのである、その常に明るくお客様を考えた対応が私の気分を穏やかにしてくれる、新船きたかみも同じ気持ちで航海してくれる事を心から期待しております。
我が家の夏はフェリーで始まり、フェリーで終わりを告げます。
北海道が故郷の私たちは子供たちの夏休みに合わせてフェリーで車と一緒に帰省しています。仙台に転勤していた頃は仙台港から苫小牧港へ。大阪に転勤していた四年間は名古屋港から、仙台港経由で苫小牧港へ。その間に震災もあり、仙台に一時下船出来なかった時もありました。
昨夏から転勤に伴い埼玉へ。この夏は久しぶりの仙台港からの出発です。フェリー内で撮影した子供たちの写真は我が家の成長記録となっております。
来週に迫った乗船日を家族みんなで楽しみにしています。お世話になったきたかみ。ありがとう。ニューきたかみも楽しみにしています。
2011年夏
震災の見えない放射能の恐怖で夫婦は子供の影響を心配しすぎ
いらぬ喧嘩の日々を過ごしていました。
そんな時、仙台からのフェリーがあの震災から短期で運航再開し
復興支援で罹災者は格安で乗れるというキャンペーンをすることを
知った我が家はいてもたってもいられずきたかみに飛び込み北海道へ向かいました
子供たちはフェリーに大喜び、甲板での写真、特等室でトランプしてる写真
売店でお買い物してる写真、お腹一杯食べてる写真
どの写真も久しぶりの笑顔でいっぱいでした
北海道でも沢山の思い出を作った我が家は
おかげさまで大きくなった今でも子供たちはフェリー旅にはついてきます
今年は年越しフェリーを楽しみましたよ
このような楽しい思い出を作ってくれたきたかみに感謝ばかりです
お疲れさまでしたきたかみ
福島沖の僚船との対向は太平洋フェリー名古屋~仙台航路の一大イベント。風や波の状態が良ければ可能な限り船を寄せてくれるため迫力もあって、大海原に響き渡る汽笛や手を振り合う人々の姿は旅情を掻き立てます。自分も乗船する度にデッキへ出て写真を撮るのですが、今の所この仙台発「いしかり(二代目)」の船上より撮影した「きたかみ」が一番上手く撮れたような気がします。
これまで何度となく太平洋フェリーに乗っていますが、初めて乗ったのは10年以上前、娘が小学校4年生のときでした。自転車が好きな娘と二人で北海道自転車旅行しようと思いたったのです。少し贅沢してきたかみの特等に乗り、通常のホテルと何も変わらない個室、海が見える大浴場、美味しい食事、コンサートや映画など、とても快適で楽しく過ごせました。自転車は専用の袋に入れて別の置き場で不安なく運んでもらいました。現地では札幌、支笏湖を自転車で回り、支笏湖では雨でずぶ濡れとなりひどい目にありましたが、今となっては良い思い出です。私の今までで最も楽しかった旅行であり、それ以来のリピーターです。もう娘は親離れしてしまい一緒に旅することもなくなりましたが、きたかみに乗るたびにその旅を思い出していました。思い出の船に乗れないのは残念ですが、新しいきたかみでまた新たな旅を楽しみます。
「きたかみ」の思い出で最も印象に残るのはやはりこの新聞記事。2011年3月11日のあの出来事を乗り越え、そして東北復興のための物資輸送に、29年の歴史の中でも最大の出来事ではないでしょうか。
「きたかみ」に纏わる思い出は沢山ありますが、一番印象深いのはやはり太平洋フェリーで初めてフル区間乗船を果たした船、だという所ですね。
自分にとっては初めての長期旅行、初めての北海道、初めての長距離フェリーフル区間…という正に初めて尽くしの旅行、その端緒を飾ってくれたのが「きたかみ」でした。
名古屋~仙台~苫小牧間の船旅で見た風景や体験した事は、今でも色褪せない思い出として自分の中に息づいています。
妻とは以前から知り合いでしたが当時、私は既婚、その後三十数年の結婚生活にピリオド、独身生活に戻って一年後、彼女から突然の電話で交際を申し込まれたが、何せ一回りも違う歳の差に加えて彼女は初婚、一度はお断りしたが、その年の北海道ツーリングにも毎日の電話!「私が今まで独身でいたのは、健治さんと結婚する為だったんだ!とわかったの~残りの人生を私と過ごしてください」と・・・ 翌年の北海道はタンデムツー!苫小牧港に向かうフェリーでは下船前のコンサートが有る事を知っていたので8月10日が彼女の誕生日!その日の朝、内緒でお願いしてコンサートの中で「ハッピィバースデー」をと、突然の出来事に涙ぐんだ彼女にそっとネックレスを・・・周りの皆様からも盛大な祝福を受けて最高の思い出となりました!今年はくも膜下出血で突然の別れとなった妻の写真を胸に9月4日苫小牧発「きたかみ」に乗船です。
久しぶりに乗船したきたかみ。
前に乗った時は2人だったけど、この時は子供たちも一緒。快適で楽しくて、船旅がすっかり気に入ってしまった娘たちでした。
太平洋フェリーの「きたかみ」が新しくなるんですね^^宮城の実家に行くときはフェリーで帰っていますが、「きたかみ」は、必ず行きか帰りで利用していました^^
私を旦那様が迎えに来てくれた1999年の8月28日。この時も「きたかみ」に乗り、仙台から北海道へ^^
今でも覚えています♪昔はA寝台しか乗れなくて…フェリーのレストランで食事と赤ワインを飲み、記念にワインのラベルをもらってきて…私の新しい生活の記念です^^
旭川に引っ越してから、実家には帰っていないので、今年か来年には、また、フェリーで旦那様と一緒に仙台に行こうと思います^^
2016年の11月、家族で嵐のコンサートのために初めてフェリーに乗って北海道に向かいました。コンサート当日の朝、周りになにも遮るものがない大海原に昇ってくる朝日がその日のわたしたちのわくわくしている気持ちとぴったりだなと写真を見返していて思いました。太平洋フェリーに乗って嵐に会いに行くことが1年に1回の楽しみになっています!今年も大好きな嵐に、大好きな家族と会いに行けますように。
幼稚園の頃から将来の夢は太平洋フェリーの船長になる事!なんて言ってた僕でした。そんな僕が初めて乗ったのがきたかみでした!
親父がお小遣い貯めてフェリーに乗せてくれた時はもう嬉しくて嬉しくて!
フェリーオタクみたいになっちゃってます(゚∀゚)
何回乗ってもワクワクでたまらん!
初めて苫小牧‐名古屋行ききたかみに乗船したのが12年前でした。とても大きな船に乗って名古屋で単身赴任中の主人の所に初めて行くのにフェリーを選びました。その頃は、まだゆとりもなくお部屋もとれずに、ベッドだけ頼んでの2泊でした。大きなゆれもなく、船からの海を見て感動した事を思い出します。今回はその頃まだ中学生だった息子の所に、行きは飛行機、帰りをきたかみと決めて日取りを合せました。久しぶりに乗った、きたかみ 船の中を思い出深く探検しました。ほとんど忘れてました(笑)サウンドスピリッツ♪ピアノ♪(癒されました)映画も2本も見せていただきました。「花ちゃんとみそ汁」朝から涙でした。でも色々と考えさせられるとってもよい映画でした!お食事もバイキング とてもおいしくまんぷく まんぞく。今回の一人旅は、たくさんの方とお話し出来、色々な情報が聞けてうれしかったです。一時上陸の仙台も探検出来て本当最高でした
フェリー「きたかみ」で初めてのたびが、北海道富良野へのラベンダー観賞でした。仙台港で乗船して部屋に着くとまずは食事のスタートでした。バイキング料理の品数の多さ、中味の濃さは秋保のホテルに負けないぐらいです。その後イベントでコンサートを楽しみました。さらに友人と飲食をしながら遅くまで語りあったことを覚えています。海上ホテルのベッドで休憩をすると翌朝は津軽海峡を渡り苫小牧港に到着です。高速道を利用し富良野にてラベンダー祭を満喫してきました。帰りも「きたかみ」を利用することができました。苫小牧港を離れるときの美しい夜景は、いまでも忘れません。洗練された船内の綺麗さ、温かい乗組員の対応の素晴らしさに感激していました。帰りの仙台港周辺の美しい島々を見ながら、ゆったりとのんびりとした船旅であったことを記憶しています。「きたかみ」長い間、本当にご苦労さまでした。そして、いつも楽しい旅をありがとう。
私は小さいころから、年末年始は両親の実家で過ごして三学期が始まる直前に岩手に帰るという贅沢な冬休みを過ごしていた。千葉の母の実家で遊び、静岡は浜松にある父の実家で遊ぶ。それだけでも他人からは随分とうらやましがられたが、その贅沢に拍車をかけたのが、名古屋から太平洋フェリーに乗って仙台まで移動したことだった。小学生・中学生だった私は、兄妹と一緒に乗船から下船までずっとはしゃいでいたことを覚えている。例えば、出航直後にくぐり抜ける橋と写真を撮ったこと。水面が大きく揺れる大浴場。終わりそうにない宿題をした深夜の共用スペース。朝焼けのデッキ。バイキング。フェリーに乗ったのは数年で、それがきたかみだったのは一・二回だっただろう。けれど、数年振りに太平洋フェリーに乗って、今日はひとり。楽しい時間だったと思いつつも少なからずの悲しさを感じて、北上川にほど近い実家へと帰る。
あれは20年以上も前のことになるのだろうか。北海道に単身赴任して1年目に東京へ出張後、帰りの飛行機が満席でした。急きょ新幹線で仙台まで戻り、仙台港から苫小牧までフェリーで戻ったのを思い出しました。その時のフェリーが「きたかみ」だったのです。仙台港から北海道で演習するという若い自衛隊の人達と話をし、私も頑張らなければと思ったのでした。定年後は、家内と名古屋港から仙台港まで「いしかり」、「きそ」に乗っては東北旅行をしていますが、 「きたかみ」に乗れることはないのですね。船にもリタイアがあるのですね。 今度は、「NEWきたかみ」で夫婦して北海道旅行をしてみたいと思った今回の旅でした。
最近足腰が弱り大好きな旅も回数が減ってきたけど、老骨ムチ打ち北海道一周のJRの旅に出た。今まで北海道には車と飛行機で行った事はあったけど、今回はフェリーでと思い新門司から神戸へ阪九フェリーで神戸から名古屋にJRで、名古屋から「きたかみ」で苫小牧に着き、8日間かけて無事目的を叶える事が出来ました。帰りは飛行機でと用意していたんですが、「きたかみ」の快適さに飛行機を急きょキャンセルして、帰りも「きたかみ」に乗船することにしました。薄雲の雲の切れ間から太陽が顔を出し海に光のジュータンを敷き詰めたみたいな風景に思わずスマホで写真を撮り娘にメールで送り、いま三陸沖を航行中水平線に太陽の光が反射して幻想的ですと、俺が元気なうちに皆で旅をしようと送ると返事が来て、綺麗ですねその海に散骨される前に旅行しましょと。ちなみにここ三年程は一人旅をしています。孫を昼間航行する船に乗せたいものです。
名古屋からちょっと遠出をしたくなる時、車と一緒に乗り込んで、仙台や北海道へ気軽に乗り換えしなくても、眠っている間に目的地にたどり着ける幸せな船旅。食事もどこに入ろうなんて考えなくても、三食ばっちりついていて、あとは自由なひととき。 船を降りれば一時間、二時間で目的地に着ける。観光地だけでなく、ちょっと知らない町も見ながら、東北や北海道の旅をゆとりで楽しめました。 母が足を悪くしてからでも、三人部屋、和洋室とバラエティー豊かに選んで楽しめました。 仙台七夕、青森ねぶた、どれもこれも楽しい旅。 船とドライブ 最高の思い出です。
玉入れ大会の帰り、台風で飛行機に乗れず2日間千歳空港で過ごしました、やっと航空券が取れ、明日大阪に帰れるぞ!という夜中に地震が!その時に1人で居られた女性と共に避難しました。また、男性二人がお友達の車椅子を担いでくれました。空港が完全閉鎖され途方に暮れていると、仙台に居る女性の旦那さまがフェリーのチケットを取ってくれました。タクシーに乗れずにいると、車椅子を担いでくれた男性がレンタカーを借りてくれ、苫小牧まで送ってくれました。ホッとしたら手が震え怖くなりましたが、女性から「あの津波の時でも耐え抜いた"きたかみ"に今日は乗るんだょ。こんな日に乗るのも奇跡。だから安心だょ!」と。フェリーの中も探検し、みんなで笑顔でずっと過ごす事ができました。フェリーに乗りたいと思っていたのが、こんな形で叶うなんて!"きたかみ"に乗れたこと一生の思い出です。そして貴重な出会いに感謝です。
定年で時間が自由なった私は、北海道へ長期のひとり旅行に行きました。色々な観光地や人との出会いを楽しみました。特に洞爺湖の景色や羊蹄山に感動しました。帰りは苫小牧から太平洋フェリー「きたかみ」で仙台に向かいました。船上デッキから太平洋に昇る朝日を見、船尾の光り輝く力強い航跡を見て、第二の人生も頑張ろうと思いました。
震災に遭って、息子を北海道の実家に預けました。その時に何度もきたかみを利用して北海道へ行き来した事をよく覚えています。罹災証明を提示したら半額で乗船出来たり、本当にお世話になりました。ありがとう、きたかみ。
夫の転勤でしばらく関東地方で暮らしていました。 再び転勤で北海道に帰ることになり、愛車に乗ってフェリーで帰道することにしました。 東北自動車道を通って仙台へ。仙台から乗船したフェリーはお部屋もちょっとグレードアップ!快適に過ごした翌日、だんだんど近づいてくる北海道の島影に今までに見たことのない風景の感動を味わい、新大陸を発見したコロンブスもこんな気持ちだったかな!?と思ったりして、思い出に残る旅となりました。 今度は苫小牧から乗船して、本州『発見!』の旅をしてみたいです!
2018年9月、2年間交際した彼女に「きたかみ」の船上でプロポーズ、見事成功して婚約しました。 実は彼女の両親は現在の「きたかみ」がまだ「新造船」と呼ばれていた頃に船内で知り合って交際して結婚したとのことでした。 時を経て私たちもまた「きたかみ」で新しい一歩を踏み出せたことを嬉しく思います。 新造船ニュー「きたかみ」には彼女と新しい家族として乗船できることを心待ちにしています。
初めての船旅です。前日には遅延もでる程の悪天候だったので不安もありましたが、意外とゆれず、6歳の息子にも船って楽しいっまた乗りたいと良い印象をつける事ができました。 今度はニューきたかみに乗りたいです!
太平洋フェリーきたかみ29年間お疲れ様!以前きたかみと旧いしかりが名古屋港⇔苫小牧間を往復で運行していた時に数回乗船していました。今でもよく覚えているのはB寝台で乗船していた時、夏だったこともあり、室内がすごく暑かったことを覚えています。人も沢山いて満員だったかな~。それから、大浴場が近い場所にあったような気がして、行くのには便利だったけど、その熱気もB寝台にきていたような記憶が残っていています。でもきたかみの浴場は2ケ所あってゆったりしていたことはよかったですね。それから、他の船には無い展望室に行ったことも、懐かしいですね。“暑い思い出”でいろんな事を覚えているから忘れることはないでしょう。旧いしかりがなくなる時、乗務員の方に聞いたら外国に行くことになっていると言っていました。きたかみはどこに行くのかな。新きたかみもパンフレットを見てぜひ乗船したいなと思いました。きたかみ、ありがと
縁あって北海道出身者と結婚。冬は行けないため、夏は我等夫婦の休みにあわせ、一週間程度は北海道へ。子どもが小さい頃は、乗船時間を少なくするため、福島から青森まで車→函館までフェリーで。小学生になってからは、仙台→苫小牧をフェリー利用。2等、B寝台、1等と客室もそれぞれ利用。夏の繁忙期の予約は、夫の重大事項でした。おかげで、社会人となった息子を伴っての帰省は、1等、特等の個室で、くつろいでの船旅となってます。 シアターを観たり、ラウンジでのコンサート、バイキング、デッキでのひととき。子供の成長とともに船旅も変わり、ここ数年はそれぞれ読書やゲームをして過ごすものとなり、以前がなつかしい。
私は、趣味でバードウォッチングをしています。その為、行きも帰りも、日の出と共に甲板に出て、鳥を探すのが、乗船時の楽しみです。「きたかみ」は、鳥の観察もし易い船です。海鳥は当然ですが、GW中の苫小牧行きは、フェリーと並翔する渡りの小鳥達に出会えるので、とても楽しみです。 「きたかみ」では、アホウドリ類やミズナギドリ類、シギ類、カモメ類等の海鳥の他、メジロやハクセキレイと言った身近な小鳥、時々手すりなどに止まっているキジバト等、沢山の鳥を見る事ができました。楽しい思い出です。中でも一番の思い出は、岩手沖を航行している時に現れたハヤブサです。頭上に現れたかと思ったら、船体の横を飛んでいたヒヨドリをアッと言う間に捕えて、飛び去りました。地上でもなかなか見る事が出来ない狩りを、「きたかみ」で見れたことに、驚きと感動を覚えました。
子供が北海道の大学に通っており、この船を利用して子供に会いに行くために乗りました。この船に乗るのは生まれて初めての体験であり、見るもの全てがキラキラ輝いて見えて嬉しさと船に乗せていただける幸せと感謝の気持ちがこみ上げてきました。子供が北海道にいるから船の旅を楽しむことができるんだなーとありがたい気持ちになりました。安全に船の運航をしてくださる船長さん、美味しい食事を作ってくださる料理長およびすたっふの皆様、お部屋をきれいにしてくださるスタッフの皆様、船の旅を運航してくださるスタッフの皆様ありがとうございます。 部屋の中も船内もきれいで、広くて、楽しくゆったり船の旅を満喫することができました。ありがとうございます。
毎年帰省に太平洋フェリーを利用しています。 出会いはまさに「きたかみ」でした。4年前の名古屋港発⇒仙台港行き。 乗船手続きの際に、奥様の身体が不自由だったので少しだけお手伝いをさせていただきました。 それをきっかけにご夫妻と仲良くなり、色々お話していくうちに旦那様は天皇陛下の海外交流のときの元通訳者だったそうです。ご夫婦はアメリカ生活が長かったとのことで、英語が堪能でした。 なんだかすごい方と知り合いになれて、心が豊かになりました。素敵な船旅の思い出になりました。
今回は、職場の子の24歳の誕生日と私が好きなアイドルの誕生日コンサートのためにフェリーを使って仙台へ。 5ヶ月ぶりの仙台ですごくわくわくしてました!フェリーに乗るのは5年ぶりで更に楽しみで、行くことが決まってからずっとわくわくしていました! 5年ぶりのフェリーは前まで知らなかったことや場所があって、こういうものがあるのかーと色々な発見ができて楽しかったです。 乗り物が昔から好きなのでまたフェリーを使って旅行したいです。 きたかみがなくなるのは残念で悲しいけど、また違うフェリーとの出会いを楽しみにしています。
12年前の8月30日、私は母と私達夫婦の3人で娘(母にとっては孫娘)に会いに「きたかみ」に乗りました。 1等船室に乗り。70代の母は、初めてのクルーズの旅にとても嬉しそうだったのを鮮明に覚えています。 大学を卒業し北海道庁に勤務していた娘を、大人になったんだなーと眩しくも頼もしく思えた旅になりました。 「きたかみ」に泊まり、明日は孫娘に会えるとワクワクしていた母の顔は忘れることができません。 母は孫娘の活躍に目をほころばせていました。 残念ながら、7年前病気で帰らぬ人となった母でしたが、毎年「きたかみ」に乗るたびに母の手を思い出し懐かしく思っています。 クルーズのすばらしさを教えてくださった「きたかみ」に感謝の気持ちでいっぱいです!
旅の日程が決まると、ワクワクして、しかし一方でドキドキして担当する船をチェックします。このドキドキというのは“きたかみ”のことでした。そしてついに・・・。あれえ、Tだ、きたかみだ、で乗船することに。私の選択はB寝台。懐かしい木製の二段ベッドで、上段になると昇るのが多少大変でした。でも、何か楽しかった。船内は暖かみのある雰囲気で、トラックの運ちゃん達も楽しそうに一杯やっていました。気のせいかもしれませんが、“きそ”や“いしかり”ではあまり目立たないのです。 何か昭和の香りのする船でした。それがちょっと憎めませんでした。実は、好きだったのかもしれません。 この度、新造船になり、新しい設備に安心して乗ることになります。これでジョーカーを引くようなドキドキ感が無くなるでしょう。でも、それがなぜかさみしい。お客とはなんて勝手なのでしょう。(笑) ありがとう“きたかみ”。お疲れ様でした。
独身時代は、京都・奈良への一人旅。飛騨高山など日本の歴史を感じるところが好きで、北海道は論外でした。が、北海道出身者を夫として北海道に毎年行くことになりました。その手段として、自動車とフェリーが毎年です。なにせ、道内では車が無ければ動き回れない不便さからです。 青森から函館、新潟から小樽、仙台から苫小牧などいろいろ利用したが、このごろは仙台~苫小牧がもっぱら。いしかり、きそ、きたかみ、それぞれ船内探検から始まり、シアター上映チェック、ショップ探検などなど家族皆で、「○○○があった」「○○はここにあった」と話し確認しあったり。 揺れが心配なときもあり、寝るに限るとばかりにベッドに入ったこともありました。幸い船酔いはしませんでしたが。 読書に夢中になり、往路で準備した本を読んでしまうことも。日ごろできないことです。
きたかみは私達の結婚報告を彼の両親に届けてくれた大切なフェリーです。結婚報告をしに仙台に行く予定だったが飛行機が満席で取れず今回挨拶は諦めかけていました。彼の両親も楽しみにしていたのにガッカリした様子でした。そんな時、フェリーという交通手段もあると教えてもらい私達はきたかみに乗って挨拶しに行きました。きたかみが無かったら結婚の挨拶も出来ず籍を入れる事になりましたが、きたかみがあったからこそみんなに祝福されて籍を入れる事が出来ました。きたかみは私達の祝福見届け船です。ありがとう
私の初めての一人旅は北海道でした。大学3年、平成生まれの私はなぜかフォークソングが大好きで、いつも当時の風景に憧れていました。大好きな吉田拓郎の歌に落陽という曲があり、「苫小牧発仙台行きフェリー」という歌詞を知り、70年代の拓郎はどんな気持ちで歌っていたのか知りたくて乗船しました。 最初に乗ったきたかみは、驚くほど豪華で、キラキラするシャンデリアにこれから始まる一人旅が一気に楽しみになりました。 落陽が流れていた時代も同じ夕陽、同じ朝日、同じ船の乗り心地だったのかなぁと色々な想いを膨らませました。きたかみ乗船中は、同室だった北海道出身の女性と仲良くなり、オススメの観光スポットやグルメを教えてもらい、一人旅も充実したものとなりました。次は一人旅ではなく、大好きな人と2人でニューきたかみに乗って旅がしたいです。 私に大事な思い出をくれたきたかみには感謝です。 ありがとうございました。
私の実家は東北。に対して、妻の実家は近畿。縁あって結婚し、節目節目に帰省する。空路(飛行機)、陸路(新幹線・車)、そして海路がこの太平洋フェリーである。子供が小さかったころはこの選択肢から行程のプランを練るのだが、私の楽しみでもあった。 とりわけ、フェリー船内の楽しみ方を熟知したことにより、安くはないけどフェリーでの帰省は家族全員の楽しみとなった。 ある年の年末、独りで「きたかみ」のB寝台で名古屋に向かった。あいにくの荒れ模様でプチ船酔いとなった(大したことは無かった)。 またある夏は、家族で夏に仙台に戻った夜、たまたまどこかの花火大会で海上から陸でやっている花火に歓声を上げたものだ。振り返ってみれば、家族の、特に子供の成長過程とオーバーラップするのが「きたかみ」の29年という年月のような気がする。 「きたかみ」お疲れ様。そしてNew「きたかみ」よろしく!
「きたかみ」を利用したのは今回で2回目。いずれも例年9月23日に会津若松市で開催されている会津際の藩公行列に藩士子孫会の一員として参加する旅行のために「きたかみ」を利用させていただいていました。うち1回目の旅はとても思い出深く、自分の生き方にも強く影響を与えるものでした。というのも、その旅は丁度東日本大震災から2年で、会津祭りの後、南三陸、野蒜、東松島と震災の跡地を回り、語り部の方から当時の話を直接伺うことができたからです。当時私は学校の教員で退職後は何か社会に恩返しをと考えていたので、この旅が私の背中の後押しとなり、本格的にボランティア活動に踏み出すことになりました。今は、何らかの事情で学ぶ機会を失った方々のための自主夜間中学のスタッフや経済的に困窮している家庭の中学生の学習支援などをしております。 そのようなことからも「きたかみ」の船旅は私の第2の人生航路のきっかけの旅だったのです。
きたかみが就航したのは平成元年の10月、私の新築の家ができて入居したのはその年の12月でした。そんな縁でとても好きな船でした。太平洋フェリーでただ1船、進行方向に大展望室があり、乗船するとよく日中には行っていました。ブリッジにいるような気分で好きなところでした。船内は昭和に設計した船らしく、どことなく昭和の雰囲気を残したところが私はとても好きでした。 そして私も体験した東日本大震災。震災後乗船したとき船内で新聞記事を読み、あの震災時仙台港にいてすぐさま船長の判断で沖へ出て大津波を乗り越え、その後北海道へ向かい日本のために活躍する記事を読み心が思わずジーンときました。 仙台で震災を体験して、それを乗り越えた船が去るのはとても寂しいです。 太平洋フェリーを離れてもまたどこかで是非がんばってほしいです! さよなら、きたかみ!ありがとう、きたかみ!
名古屋発きたかみで行く北海道マイカーに乗って目指すわ宗谷岬オホーツク海を眺めながら北をめざします。宗谷岬は晴天で最高でした。 帰りはオロロンラインを札幌市を目指します。帰りは苫小牧発きそで名古屋へ。
きたかみのラウンジは、今でも3船中で一番広く、充実した設備を装備しています。30年前にこのような客船並みの設備を備えたフェリーはなかった、と記憶しています。飛行機の運賃が30年前とは比べ物にならないくらい下がり、割安になりました。それでも船旅を愛する人は多いはずです。将来的には、お金も時間にも余裕のある人たちが利用するようになります。「客船並みのフェリー」というコンセプトは、きたかみから始まったものと記憶しています。このコンセプトは今後とも継承されるものと期待します。
2011年3月11日私の家は屋根が崩れ穴が開き、家が傾き、大規模半壊に認定されました。その後なんとか友人の助けもあり少しずつ家は修理されて日常を取り戻していきました。その時、札幌から来てくださった仕事の大先輩が励ましに来てくれました。その後、その方が末期がんであることがわかり、私はお見舞いに行くことになりました。ちょうど、太平洋フェリーが震災支援をしてくださっていたので、私は秋から2012年2月まで3回ほど往復利用してお見舞いに行きました。助かりました。その時、3回目に苫小牧から仙台の船が「きたかみ」でした。木を多く使った船で、ゆっくり、なんとも暖かい、快適な旅でした。今も、「きたかみ」を見るたびにその方の事やにお見舞いに行ったことを思い出しています。
2018年9月17日、仙台より苫小牧行きに乗船させていただきました。初めての乗船になります。この度、きたかみが29年の時を経て退船するとネットで知り、あえてこのタイミングで乗る計画をしました。 船内はやはり「いしかり」や「きそ」と比較すると古さを感じましたが、いしかりやきそにはない味というか風格を感じさせてくれて、これはこれでいい経験をさせていただきました。 入れ替わるニューきたかみには船体後方のステージが無いと聞きました。非常に残念なこととは思いますが、時代に合った何か良いことを検討されていると思いますので、今後もみんなから愛される太平洋フェリーであることを期待しています。 私は私で知人や友人にPRしてゆきます。良い体験、本当にありがとうございました。
22年間の育児に少しお暇をいただいて、先日再婚した旦那様が「一度でいいから船に乗ってみたい」という私のワガママに応えてくれて、初乗船を果たしました。バタバタと慌しく過ごす毎日が当たり前だった私には、とても衝撃的なほど。のんびりと海を眺めたり、コーヒーを飲んだり。移動手段の一つだと思っていた船旅がこんなに素敵な時間を与えてくれるなんて思ってもみませんでした。「きたかみ」は29年間もの間、私たちのようないろんな暮らしや思いをもった人たちを乗せ続けたんだと思うと、時間の長さや船旅の豊かさをもっと早く知っていたかったと、この年になって初めて思いました。 大きくたくましく育ってくれた息子たちと優しい旦那様に感謝して、また船旅を楽しむ機会を作ろうと思っています。
今年の3月で、40年間の教員生活を卒業しました。教員の休みは、夏休みと冬休みにまとまった休みが取れます。結婚して33年。毎年の夏・冬休みには必ずフェリーで車の旅行を続けてきました。そして退職した今も、フェリーの旅を続けています。このキャンペーンも「いしかり」の船中で知りました。 「きそ」「いしかり」「きたかみ」と何回お世話になったことでしょう。船に乗ると、忙しい毎日を忘れ、自由な旅のはじまり。好きなときに寝て食べ、お風呂に入る。映画を見たり、素敵なラウンジショーで音楽に包まれる。なんと贅沢なことでしょう。 今年は4月にも旅に出かけ、9月の今、2回目のたびに出ようとしています。帰宅は10月13日の予定。25日間のたびのはじまり。ワクワクします。 この先もフェリーにはお世話になりますね。あと20年くらいは続けたいです。 ありがとう「きたかみ」!いっしょに退職ですね。
今から約4年前の2014年6月に、会社生活30年の記念旅行を妻と2人で、太平洋フェリーで東北旅を自動車でしました。移動にフェリーは初めてで、少し緊張しましたが、乗船してみると、ゆったりして、お風呂も最高、食事もgood、東北旅も良かったですが、船旅は移動そのものが記念になりました。食後の空いた時間にも、コンサートやトークショーがあり、津軽三味線は今でも心に残っています。そして、トークショーでは、フェリーの燃料は、重油で、1リットルで、1cmしか、進まない事に大変驚いた記憶があります。当時は、1等客室だったので、今度、是非、特等に乗ってゆったりとした船旅を、味わいと思います。ただ、当時、一緒に旅をした愛犬のロクさんが、今は天国に行ってしまい、当時と違うのが、大変、心残りです。
20年程前に南東北を旅行しました。夫は時間がないので往復飛行機。飛行機嫌いの私は、車で「きたかみ」に乗り込み、仙台で夫と合流しました。 2等に女性専用がなかったため、B寝台を取りましが、息がつまり、自分にはやはり、広々とした2等が合っているんだなと痛感しました。しかし、久々の独身ひとり旅。心の中はルンルンです。一人で船の中を探検し、豪華な展望室をみつけました。一等の人しか入れない立て札があったと思いますが、すみません無視しました。フカフカのソファーと目前に広がる展望。のんびりくつろいで読書をしてすごしました。 忙しい世の中で「どこでもドア」が欲しいと思う時もありますが、移動を楽しめるフェリーの旅って時がゆっくりと流れ、ほっこりと暖かく、体を休めながら旅ができます。 退職して、時間に余裕ができた夫も、すっかり船好きになりました。
初めて利用した太平洋フェリーの船がきたかみでした。今まで3回利用したうち、すべてがきたかみです。何かの縁だったのかな。時間があれば最終航海を見届けたいですね。
独身最後の一人旅に北海道に行こうと思い横浜から仙台へ向かい、きたかみに乗船。 マイカーで旅をし、宗谷岬に人生始めて訪れる等、北海道の風景と食事を楽しみました。 しかし、台風の影響で帰りのフェリーが欠航していまい、その代わりにきたかみが来てくれました。 行き帰りA寝台にしたら、まさかの通路挟んだ反対側の場所で、ほぼ一緒の所に乗れました。 またM6.7の地震の直後にも関わらず、仙台から定刻で入港、スムーズに出港もしてくれて、身寄りの無い地で心細い私は、大変勇気をもらいました。 私も昭和63年産まれで、ほぼ同い年の船が引退するのは悲しさも感じますが、「ありがとう」と伝えたいと思います。
学生時代以来20数年ぶりのバイクでの北海道ツーリングでした。まとまった夏休みをもらったものの家族はそれぞれ所用があり、それならば学生時代を思い出してと一念発起しました。ただ目の前にあるのは、かつての中型二輪ではなく、高速道路に乗り入れることができない、25ccの原付二種のバイク。北海道ツーリングを実現するのにどうしたらいいか考えた末、その夢をかなえてくれたのが「きたかみ」でした。北海道はダートだった道が舗装されていたり、どこの観光地にも外国人の姿が見られたり、かつてとは大分様変わりしていましたが、雄大な自然はそのままで、存分にツーリングを楽しむことができました。学生の時と比べて歳は倍になり、バイクの排気量は半分になったけれど、北海道の魅力は変わらず、そして、かつての様に受け入れてくれました。夢をつないでくれた「きたかみ」ありがとう。「ニューきたかみ」に夢をつないでください。お疲れ様でした。
ラストイヤーなのですね。 新しくなるのは知っていました。 いつも「いしかり」を利用していましたが 今回最後になるかもしれないと きたかみを選びました。 古いですよね。 年代を感じます。 お疲れ様です。
ある日突然仕事をするのがいやになった時が有りました。家にボサーットする日が数日続きました。そんな時ふと若かりし頃、旅行で仙台から太平洋フェリーきたかみで北海道へ行った時の海の上で時間のたつのをわすれ良かったことの思い出を思い出しました。そうだ今自分に必要な事はあの時のようにのんびりとした時間で心と体を休める事が必要だと思うようになりフェリーきたかみに乗船し自分を見つめ、力をもらった船です。その後も自分がいやになった時、仕事がいやになった時、仙台から名古屋、名古屋から苫小牧の船に乗船し自分をふりかえる時間、自分に活力を与える時間に活用させてもらっています。 フェリーきたかみからは生きる力をもらった船です。来年から新しい船にかわりますが、私の心のよりどころの船でした。きたかみおつかれ様でした。
私の初めての船旅デビューはきたかみでした。あの時は震災の年でした。様々な人が多く利用していたのを覚えています。とても賑やかでした。 一人旅でしたので船酔いの心配や長い船旅をどのように過ごそうか色々考えていました。結局寝て起きたらあっという間で本当に居心地の良い空間だったと思います。その後毎年北海道に行くときは船を利用させて貰っています。初めての北海道でお土産も沢山購入し荷物がかなり重かったのに、私よりも遥かに華奢な女性のスタッフの方が荷物を運んでくれたこと今でも覚えています。その節は有難うございました。 今年も11月に利用する予定です。また最高の船旅を期待しています。
この初めての船旅が、きっと、この老船への最後の搭乗となる。 七月上旬のある夜明け、私はきたかみと共に朝霧の海にいた。ファンネルも朧に見えるほどの濃い朝霧の中、きたかみは黙々と船路を進めてゆく。初めての北海道旅を終えた。そしてこれが私の初めての船旅。幾多の初めての不安感をよそに、きたかみは29年通いなれた航路を悠然と仙台へ進んでいく。 往路の飛行機と比べると、船は遥かに鈍足だ。しかし、船内で友と語らう緩やかな時の流れは、何事にも代えがたい。 いつかまた、今度は新しいきたかみで、必ずや北海道へ向かうだろう。私の人生にはコンパスもジャイロもないが、必ずやまた、北海道へ行くことを確信している。 朝霧に包まれた柔らかい朝日の中、私は束の間のこの旅路に思いを馳せていた。 ありがとうきたかみ、さようなら。またいつか、今度は新造船で会いましょう。
まだ私が小さかった頃、父は毎月のように車に商品を積み込み太平洋フェリーで北海道へ行商に行っていました。夏休みには一緒に連れて行ってもらいました。きたかみ就航の際も「お父さん、新しい船に乗ったぞ〜」とニコニコとお土産をもって帰ってきた姿を今も覚えています。その後体調を悪くした父は長い長い闘病の末一昨年天国へ旅立ちましたので、フェリーは私と父の大切な思い出の楔です。沢山の思い出をありがとう!!
私が北海道から仙台に引っ越したのは、今から32年前。小学4年の時でした。それからは、夏休みには家族4人でフェリーに乗り、北海道に行くのが、我が家の毎年の恒例行事となり、社会人になっても続いています。きたかみのB寝台。2段ベッドの上段が私の定位置です。梯子のついた、ちょっとレトロなベッド。少しずつ梯子昇降がキツイと感じるようになってきましたが、もう乗れなくなってしまうと思うと、寂しさを感じます。今年は1歳の息子を連れて乗船します。息子も、私のようにフェリー好きになるのかな。息子にとっては最初の、私にとっては最後のきたかみです。大好きなフェリーでのひと時。今年は、きたかみと私の32年間を噛みしめながら乗船します。
H17年転勤で仙台へ。神戸出身ながらH19年に自宅を仙台で新築!実家の母からは「何故そんな遠くに・・・」と悲しまれたので、東北を知ってもらおうと仙台へ招待。帰省に車を使用しており、名古屋からフェリーを選択。その時に乗船したのが「きたかみ」でした。レストラン・お風呂やショーにと「きたかみ」での船旅に母も子供達も大満足!それから11年、今年我々夫婦は銀婚式を迎え、北海道への記念旅行を企画。そして11年前に楽しいひと時を過ごしたフェリーで行く事に。予約の際「きたかみ」の引退を知り、それならばと「きたかみ」に出航に併せて日程を決定。今回は二人での利用でしたが、前と同じ部屋かな・・・?と話しながら当時の思い出に話を弾ませ、やはりレストラン・お風呂やショーを楽しみました。「きたかみ」のラストイヤーに乗船出来た偶然に感謝しつつ、来年「新きたかみ」にも乗船したいねと話してます。29年間お疲れ様でした。
以前の住まいは、仙台港が一望できる部屋で、空気の澄んだ冬の夜の出航は、客室の灯りがキラキラと輝き、それは素晴らしいものでした。 2011年3月11日。 一転して港は暗闇に包まれ、火災現場の炎が唯一のあかりとなってしまいました。 街の悲惨な状態を目の当たりにし、ライフラインが途絶え、鬱々とした日々を過ごしていたある日、ふと港の方に目をやるとフェリーが停まっているではありませんか。 その瞬間私は声を上げて泣いてしまいました。 少しずつ復興に向けて進んでいるのを実感したのです。 あとでそれが「きたかみ」で自衛隊員や救援物資を運んでくれたと知り、また感謝の涙を流しました。 私の心に光を届けてくれた「きたかみ」。長い間ありがとうございました。
おんせんたのしかったです。 フぇりーでぐらぐらゆれながらおふろにはいったりねたりできるのがふしぎです。まどからはフぇりーがはしっているのがわかります。あいすがうっていたのでみんなでかってたべました。おいしかったです。はみがきどこでやるのかわかりませんでした。こんどもふぇりーのりたいです。きたかみごうさんありがとう。 ありがとう**☆☆
今年の夏の実家への帰省。8月12日仙台発→8月18日仙台着。偶然、往復とも「きたかみ」でした。子どもが少し大きくなったので、2等和室を家族5人で予約してみました。2才・6才・8才の3人娘が大きなお部屋で他のお客さんに迷惑をかけないかなぁ、と心配でしたが、なんとか無事につきそうです。 実家は札幌なので、家族5人で帰省となると、大旅行になってしまい、なかなか行けないのですが、今回は、往復きたかみで、リーズナブルでした。多分、私たちにとって最後の「きたかみ」乗船になると思います。 今まで永い間、たくさんお人々を運んでいただき、ありがとうございました。
わたしのいちばんのたのしみなことは、ちょうしょくバイキングです。どうしてかというと、バイキングは、すきなもを、おかわりできるからです。あと、わたしのすきなものは、ウインナーやスパゲッティです。 ちょうしょくのあとは、ぴあののえんそうをききます。どんなきょくをひいてくれるのかわくわくします。えんそうがおわると、とうちゃくまでもうすぐです。またのりにきたいです。
初めてカーフェリーにのって思ったことは、15000トンという大きさということです。思ったより、ごうかで、びっくりしました。ゆれは、すごく強かったのでよってしまうかと思いました。きたかみの、おふろがきれいでした。今きたかみにのってて、思っていることは、かっこよくて、きれいで、すばらしい船だと、思いました。本当はもっと船がゆれないんだと、思いました。おへ屋にも、テレビや、テーブルに、ふとんが、あってすごいなぁーと思いました。 今日は、ちょっと、日の出が、見えなかったのがざんねんです。「帰りに、日の出が、見れるといいな」と思いました。帰りにもきたかみに、のるのが、楽しみです。でも、来年1月19日できたかみの、さいごの日です。 30年、おつかれさまでした。
毎年恒例の母の実家への旅行で苫小牧⇔仙台を利用しています。船内ではレストランで食事をしたり、映画を見たり、ラウンジでのミニコンサートをきいたりと毎回、楽しませて頂いてました。きたかみは何度も利用し船内のどこになにがあるかも、覚えてしまい大変利用しやすかったです。 たくさんの思い出、ありがとうございます。 きたかみ、ステキな思い出、ありがとう。 そして、おつかれさまでした。
初めてフェリーを利用したのは当時29歳の時でした。 札幌の観光をして宮城に帰る際に、最後まで時間にゆとりのある旅路にしたいと考え、「きたかみ」に乗船させてもらいました。 当時は特等洋室をお借りし、快適な時間を過ごした記憶が今も残っています。多種様々なバイキングの料理…無料のラウンジショー…疲れの癒せる大浴場…それらのサービスの素晴らしさや船旅と言う忙しい毎日ではなかなか味わえない非日常感がきっかけとなり、北海道への観光の際は太平洋フェリーを利用するようになりました。良い事だけでは無く、私の場合、海が荒れれば船内で足元がおぼつかず、陸に上がれば陸酔いが一週間以上は続く…だけれどもう一度乗りたくなるフェリー…フェリーの旅路の楽しさを教えてくれた「きたかみ」今までお疲れ様でした。いつの日か「ニューきたかみ」でまた再会したと思います。
きたかみだったのか?覚えていませんが、今から27年前に名古屋から地元北海道に帰る為に乗船しました。高校卒業して、直ぐに仕事の為に上京しました。しかし、長く勤め様と思った会社が合併され働きずらくなった為に地元に帰る事にしました。 初めての1人旅で、ドキドキでしたがトラックの運転手さんやライダーの方々旅慣れた人達に、色々と教えて頂き船酔いする私も、楽しく船内で過ごす事ができた事を思い出します。また、機会が有ればフェリーに乗りたいなと思います。
札幌の大学生の時、名古屋日帰りツアーに三人のうち一人が急に行けなくなったとからと、代理の急な参加でした 行って知ったのが、新造船きたかみのモニターツアーで、長い船旅に不安を感じつつ、あらゆる催しに参加し、人数限定のカラオケにまで並んでエントリーしたり、完全に楽しんだのでした カラオケでは参加者にきたかみの絵葉書を頂いたのを覚えています 今は仙台に住んでおり、北海道の実家に帰省をするため、年に数回乗船しています きたかみのリニューアルの時にも、大学時代の旅を思い出しました フェリー旅のファンも私の周りに増やしたと思います これからもよろしく
子が生まれ、北海道の実家に帰省する時、2番目の子が生まれ、実家に行く時、移動方法は太平洋フェリーです。 実家の父と母と一緒に、小樽にいって海鮮寿司の食い倒れ、2年後は登別へ行きました。その2年後は父が入院してフェリーで行ったり来たりしました。父の死にには、宮城の両親も太平洋フェリーに乗船しました。 母と姉が一緒に住むことになり、富良野に行ったり、旭川に行ったりしました。 長男も生まれて、母は大変喜んでくれました。 しかし、母が突然倒れ、寝たきりになりました。毎年、太平洋フェリーで移動しました。母を看取ることができました。 今回は、父17回忌、母3回忌の供養です。 行きは台風で欠航になってしまい大変でしたが、帰りはメモリアル「きたかみ」に乗船することができたことは、とても嬉しく、なんとも言えません。私の人生と共に働いてくれたことに「ご苦労さま」と言いたいです。
2年に1度は太平洋フェリーに乗って、北海道に帰省しています。 今はコンサートとして演奏や歌で楽しませてもらっています。 昔はイベント的なことが行われていて、自由参加でゲームなどをしていました。夫がコーラを飲んでいるときに司会の人にインタビューされたり、私は子どもたちとゲームに参加して、最後まで残りました(ちょうどその日は私の誕生日で)、景品としてワインをいただきました。思いがけない誕生日プレゼントでした。 夫と一緒に美味しく飲み、ビンは思い出としてサイドボードに飾ってあります。イベントや演奏、映画など、とても楽しみでした。 今回、まさかの「きたかみ」のラストイヤーとは。フェリーに乗船したのも29年前からです。「今年で最後かな・・・」と夫と話していたところでした。「きたかみ」にいままで大変お世話になりました。 ありがとう。
長年お疲れでした。 20数年前、貧乏ライダーだった自分には、この展望デッキが『夢の場所』でした。 当時は、2等寝台室しか予約できる余裕しかなくて、ここの展望デッキで仲間のライダーさんと、深夜過ごした思い出。 当時の貧乏ライダーは『2等寝台』に隔離。今と違い、昔のライダーさんて自分を含めて、『汚れてて、汗臭くて、うるさい』今考えると、他の乗客の方々に、迷惑をかけていたのかなと今更ながらに思います。 当時、2等寝台を予約して、お風呂で汚れを落として、楽しかった話を仲間と話して、展望デッキのソファーで寝る。当時は『VIP』気分浸ってました。 朝になると、乗務員さんがカーテンを開き、朝を感じ目覚める。 ご迷惑をかけていたかと思いますが、今のライダーさんたちには分からない、至福の時間。 これで、『太平洋フェリー』から展望デッキの船が消える。 思い出をありがとうございます。
東北震災で沈んだ気分も4ヶ月経つと、そろそろ気晴らしがしたくなり、初めてのフェリー旅行を計画・実行しました。幼少時の青函連絡船以来です。 7月にしては涼しい夕闇のなか、仙台港から苫小牧までバイクと一緒に乗船。 その時のフェリーが「きたかみ」のA寝台。波は穏やかでしたが、展望大浴場のお湯に揺られながら太平洋をぼんやり眺めたり、ラウンジでピアノ演奏を聴いたり、ゆっくり時間が流れていました。 寝台のプライベート空間はまるでブルートレインに乗っている様。レールの音は聞こえませんが。 翌朝は早朝に目覚めたので、展望通路でコーヒーを飲んでいると、5~6頭のイルカが目の前をフェリーと一緒に泳いでいます。誰も気付いていなかったので、見知らぬ子どもに指さしと目配せ。イルカと少女の歓声で幸せな気分に。飛行機に新幹線では味わえない、「旅」がありました。 「きたかみ」引退前にもう一度、乗船できるかな。
小さいとき、きたかみに乗ってありがとうの絵手紙をかいたところ、次の年乗船したらそれを貼ってくれていた! きたかみのスタッフの温かさがうれしかったです。
北海道への転勤に利用しました。内装がきれいで今までに乗ったいしかり、きそよりとても船内では楽しくすごせました。 津軽海峡に入った時から揺れがひどくなり大変な思いをしましたが船旅はとても楽しかったです。 レストラン等も雰囲気がよく最高でした。 揺れでよってしまいとても大変でした。(苦笑い) いしかりではそんなに揺れなかったのにととても思いました。 仙台出発の日、ターミナル地区が停電になり手書きで確認していたのが印象的でした。
父と3度目のツアー参加で、熱田神宮へ行くツアーでした。 夜に船内を歩いていたところに、若い男性がボーッと起きて来て、近くにいた人に仕事なのか?どこから乗ったのか?と話し掛けられていました。その後一緒に話をしていて、時間も遅いので休むことになり、機会があったら電話すると電話番号を交換しました。 ツアーが終わって、電話をくれました。 その人は、結婚8年目の今の主人です。
50才を過ぎ、昨年の6月に初めてフェリーに乗り苫小牧に行きました。それがきたかみでした。 山育ちの私にとって海は憧れ。 満月に照らされた水面、デッキから見上げた星空、そして海から昇る朝日には、言葉にできないほどの感動を覚えました。海を見ながらのお風呂、コンサート、映画、美味しい食事等など、私のこれまでの人生の中で、最も贅沢で快適な時間でした。職員の笑顔のおもてなしに、すっかり太平洋フェリーのファンになりました。 フェリーで過ごすゆったりとした時間は、日々の疲れを癒やし、私をフル充電してくれます。 新しいきたかみも楽しみにしています。
2012年4月上旬。北海道旅行を計画し、新潟→小樽の船で予約してました。しかし乗船2日前の夕方に見知らぬ不在着信があり、折り返したら「爆弾低気圧により欠航」との無情な通知。慌てて代替手段を検討し、太平洋航路の運航を確認して空席のあった「太平洋フェリー」を予約しました。新潟から空席僅かの高速バスで仙台に向かい、仙台港で「きたかみ」に対面して、計画通りに旅を遂行できる安心感に包まれたのを忘れられないです。緊張から解放された一夜は素敵な航海になりました。
仙台で震災を経験し、復旧で家にもほとんど帰れない日が続いて、家族共々心身が疲れきっていた。4ヶ月が経過する頃、短い夏休も取れるようになり、子ども達の提案でフェリーの旅をすることに。ちょうど太平洋フェリーさんの震災復旧支援企画もあって、気持ちよく北海道へ旅することができた。北海道では宮城ナンバーを見かけると「大変でしたね、頑張ってくださいね」という温かい言葉をたくさんいただきました。家族との絆も深まり、我が家の忘れられない思い出となりました
私にとっての北海道初上陸は「きたかみ」でした。平成2年の夏、「きたかみ」は、ピカピカの新造船でした。名古屋から3日目の朝、デッキから見た北海道の大地には、本当に感動しました。道内を旅行中に網走で2等船室で同部屋だった人と再会したり「きたかみ」は、昔ながらの船旅の醍醐味を味わえました。今でもリニューアルされて美しい姿で活躍する「きたかみ」を見ると嬉しく思います。楽しい思い出をありがとうございました。それでは、引退の日まで「安全航海」をお祈りします。
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